王の舞の由来

その由来については、麻生区内には古文書が残っていないので定かではありませんが、 民俗学者による様々な説があります。 それは、おそらく舞楽、伎楽に由来する外来系の芸能であろうとのことです。 平安時代末期から鎌倉時代にかけて京都や奈良の大社寺で行われた祭礼で演じられていたむね12世紀の史料に記述があるそうです。 それがなぜこの地方に伝わったのか、荘園制度の成立とともに荘園鎮守社が設けられ、 祭礼に奉納する神事芸能として伝播したものが、今日まで伝わったとされています。 当時、当地は比叡山常寿院の支配する荘園であったそうです。

彌美神社

三方郡美浜町宮代に鎮座し、大宝2年(702年)に創建され、社号は嘉禄2年(1226年)以降二十八所社と称しましたが、 明治2年に彌美神社と復称されました。天保5年の古文書によると、織田庄総社との記載がありますが、 美浜町内の 山東地区にある織田神社を指しているのでなく、 当神社が織田庄(注1)全体の総社として位置づけられていたと思われます。 尚、この文書によると「皇の御舞」と記述されています。

祭礼は5月1日におこなわれ、各氏子集落から餅で造った御膳(注2)よぼの木(注3)で造った御幣が奉納されます。

祭礼には、幣迎え・王の舞・獅子舞・幣押し・浦安の舞・乙女の舞が奉納されます。

神社の他の行事としては、歳旦祭・節分祭・祈年祭・夏越の大祓・能楽祭(風祈能とも言い台風除けを祈って能が奉納されます)・ 七五三詣・新嘗祭・年越しの大祓が催されます。

(注1)当時の行政区域は織田庄と呼ばれていました。天保5年当時の行政区域は織田庄が3区域に別れていました。

織田山東郷7ヶ村
織田山西郷9ヶ村
耳 庄14ヶ村
(彌美神社)
現在は氏子18集落
約730戸

(注2)餅を加工して造った御神饌、集落によって形が違い、餅を使用するのは全国的にも他に類を見ないと云われています。

(注3)楞、四方木、御祭神がこの木に降りたと云われています。