2.人間愛あるいはヒューマニズム

  私は、モニュメント「未来を拓く」に、漫画家・手塚治虫が描いた鉄腕アトムを連想します。鉄腕アトムは”心優しい、
科学の子♪”とアニメーションの主題歌にあるように、真心を持った子供ロボットが主人公の漫画で、手塚治虫の人間
愛の象徴です。
 私は、「未来を拓く」の中に21世紀以降の科学技術と人間性の調和を希求した岡本太郎の洞察と人間愛を感じるの です。

人間愛の思想的系譜としてのヒューマニズム(人文主義)は、歴史的に遡れば14世紀のイタリア・ルネサンスを
端緒に、 中世のカトリック的な世界観、パラダイム(概念の枠組み)を開放するべく出現しました。「神曲」を著した
詩人ダンテが
 先駆となり、後に、ルネサンスの三大天才と呼ばれることになったダ・ヴィンチ、ミケランジャロ、ラファエロといった芸術
 家達が活躍した時代を象徴する概念です。
岡本太郎の為した仕事は、ある意味においてヒューマニズムを想起させるものでもありました。岡本太郎は、パラダイム
の外側からの突き崩しと表裏一体に、原初的な人間精神を内側から復興させました。常に人間を始め、生きとし生ける生命を透明で優しい眼差しで見詰めていた岡本太郎であったからこそ為し得たのだ、と私は考えます。
その眼差しは「こどもの樹」(国立児童センターこどもの城/東京都渋谷区)「犬の植木鉢」(岡本太郎記念館)に顕著に表れています。

3.人間性開放の芸術

  ところで、 岡本太郎の思想や作品の根底にあるヒューマニズム、あるいは、その生命の営みに向けられた激しい情熱は、どこにその淵源を求められるのでしょうか。
私は、 それを母、岡本かの子に見い出すのです。かの子は、漫画家岡本一平を夫に持つ、歌人であり、小説家でもあったという才女で、その一生を文藝に注いだ母親でした。

 「私は、母親というものをいっぺんも持ったことがないような気さえする」(「一平、かの子」チクマ秀版社)という岡本太郎の言葉からも推定されるように、
かの子は、まったく子供の面倒をみないような奔放な、その反面、非常に繊細で情熱的な女性でした。岡本太郎は、かの子から実に大きな影響を受けたのです。
  さて、かの子の人生を淵源に持つ岡本太郎の思想、作品は、弁証法的に云うならば、善悪の二つの要素を内包しつつ芸術という美に統合されます。つまり、岡本太郎の思想、作品は、善悪という二つのパラメーターをも内部に含んでいるということです。善を肯定する、悪を否定するという次元に留まらず無垢に生命をひらく。迸る情熱とともにひらく。実は、これが、岡本太郎の芸術が人間性開放の力を持つ秘密なのです。
自分のいのち全体、からだ全体で、あらゆる響きと色彩をもってひらききる。いつも、瞬間瞬間に。」(「太郎に聴け!2」青春工藝社)という言葉は、その本質を顕しています。また、最後の「いつも、瞬間瞬間に」という言葉は,岡本太郎のキーワードともいうべき重要な意味を持っているのです。

(4 瞬間の本質
  この「瞬間」という概念は、いったいどういった意味を持っているのでしょうか。また「いつも、瞬間瞬間に」と語った岡本太郎の本意は、奈辺にあったのでしょう。私は、次ぎのように二つの意味を与えたいと思います。
  一つは、客体として、人間を含むあらゆる生命は時々刻々と生成、育化、発展、衰退、循環を続け、その運動を停止することがないという本質です。つまり、仏教的に言い変えれば、  時間を介在した重々無尽とも観える縁起の個別的、相関的変化を捉えた概念です。また、もう一つは、主体としての岡本太郎の個性に根ざした独自の弁証法的思考(週間文春2002/2/28号「私の履歴書〜養女岡本敏子氏記事」)すなわち、岡本太郎自身の言葉で表せば「対極主義」という表現、つまり、瞬間的な渾沌とした生命エネルギーの発露、つまり、岡本太郎という人間存在そのものであるということです。私は、対極という、二つのパラメーターを意識した言葉が、まさに、岡本太郎らしい所だと思います。
 このように、岡本太郎とその芸術は、力強く、素朴な印象の奥底に、理知的で哲学的ともいえる懐の深さも持っているのです。こういった一見矛盾しているように感じる部分は、後述する岡本太郎の芸能活動という一つの表現における、誤解(岡
本太郎自身はそれを楽しんでいたと、私は推測しています)に拠る所もあります。但し、それは表面的な解釈であり、私は、芸術家・岡本太郎の深さ、高さ、そして、独自性にその根拠があると考えています。
                (つづく−3/17(日)掲載予定) (掲載が大根の遅れからです。今改作途上で御理解下さい 
戻る
Home