鳥浜貝塚
鳥浜貝塚第3次調査時に出る
1972年若狭考古学研究会(所蔵)
1972年若狭考古学研究会が実施した、鳥浜貝塚の調査ではサルのほぼ完全な(後頭部は打ち破られている)頭部の骨が見つかる。 この頭部を1972年6月8日に調査を依頼した。当時の研究者T氏の死亡で、この頭骨が行方不明となる。
このたび研究者の探索によりこの頭部に再会できた。 (002.04.21記載)
京都大学人類学研究所(1972.6
上野を通じて池田次郎教授(当時)に頭骨の出土を伝えると直ちに見せていただくとの電報が入る。森川昌和(元中京女子大学教授)上野晃(中央)左端大森宏(故人)前列の右は『鮎の話し』著書(魚類等の生態学者)の宮路伝三郎(故人)。白衣は池田博士、鳥浜はこれより自然科学者のメスがはいる、サルは導火線となる。 森川の人柄を通じて安田喜憲、西田正規など。若手の研究者
また。地味な学問の権威者が馳せ参じてくれた。 

        上野晃(若狭大根)

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1972年鳥浜貝塚第3次調査の成果