貝塚調査への経緯と情熱
1962年2月森川昌和と井関博道氏が1962年若狭地方の古墳分布調査の帰り道、高瀬川
の改修工事に出くわす、散乱する遺物を見逃さなかった。

鳥浜貝塚第3次調査
、若狭考古学研 究会調査(1972年3月)
 立教大学考古学研究室 助教授岡本 勇(当時、故人)は「、この調査は地元主導でやること」と説いた
 (森川昌和等の研究史に詳しい。)
 工事用グレンが動く下での調査。ハス川州の工事で貝塚破壊の緊迫場面.工事用グレンが動く下での調査。(72年のハス川州の部分撤去工事で貝塚破壊の緊迫場面。)若狭考古学研究会の調査((1972年。3月)
サルの頭骨
日本の織物の源流 (アンギン)     繊維の原料  アカソ  1981発見
      布目順郎 博士鑑定         
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鳥浜貝塚調査の記録
  幸なるかな?。遺物の重文指定

調査仲間でトリハマからの遺物は「国指定」で保護活用の願いが当初からありました、遅まきながら今回は数を決めて指定されました。出土遺物全て指定が念願でした。 経験の無いものが遺物に接しているのでしょうが、注視しています。
サルの頭骨(1972年)
桜の皮を巻いた弓(装飾弓)
1972出る(若狭考古学研究会蔵)
02,03,23福井新聞の記事