廉進丸(北洋水産)フイッシュミール工船


  
タンカー日章丸(出光興産)の軌跡」 世界が注視する中、イランから石油を持ち帰る。
    
イランが英国から石油を国有化した、出光は果敢に買取りに。日章丸拿捕か、憶測も流れる、船首は緊張の中日本に向けて。 『日章丸』

     下は
「日章丸二世」の改造船「廉進丸」北洋水産-母船式工船(出光さんから、「私はこの船で男になった あなたも男に
     なりなさい
と、」  日章丸を譲ってもらった。 大西廉作(北洋水産社長)は事あるごとに言った
                        まだ未完成です、じょじょに充実しますので、また開いて下さい。07、11、01


廉進丸の甲板 (原料甲板)と呼んだ。
日章丸のころは
さながちパイプラが交差していたであろうか。 写真、船首をノゾミ
写真の視覚より甲板はもっと広い感覚。


 1957年
私は北洋水産(社長大西廉作ー香川県出身ー)株式会社に入社した。
マサニ所得倍増(日本経済膨張)以前。
SSK(佐世保ドック)で引退した「日章丸」をフイッシュミール工船に改造、横浜、高島埠頭に接岸、北洋ベーリング海に向け操業の準備その最中に乗船した。改造後の総量屯は1万2千トン、全長はたしか120メ-トルと聞いた。横浜港に入港していてもこの工船は巨船であったが、タンカー日章丸としては石油運搬にはもう役目は終えていた。その後のタンカーの巨大化は論をまたない。

上 甲板に積み上げたカレイ、スケソウダラ等の魚類はこのコンベヤーで船内に流しこまれた平均漁獲量1000トン(1日)。                 北洋べーリング海低魚類 の資源枯渇の前夜

     『1953(昭28)年3月出光は、石油を国有化し英国と抗争中のイランへ
      日章丸二世を極秘裏に差し向けました。 メジャー支配に挑戦した 『日章丸事件』
 『出光興産社史』
    参考 『日章丸』 出光興産

                廉進丸の航跡  (漁業衰退の証言)

 「廉進丸」の航跡 ベーリング海
       
(北洋漁場)に向けて
アフリカ アンゴラ ルアンダー沖にて廉進丸、作業船「だいはつ艇」(まだポルトガル国の植民地であった)  カニ工船 進洋丸(北洋水産)出港