![]() 廉進丸の甲板 (原料甲板)と呼んだ。日章丸のころは さながちパイプラが交差していたであろうか。 写真、船首をノゾミ 写真の視覚より甲板はもっと広い感覚。 |
1957年私は北洋水産(社長大西廉作ー香川県出身ー)株式会社に入社した。 マサニ所得倍増(日本経済膨張)以前。 SSK(佐世保ドック)で引退した「日章丸」をフイッシュミール工船に改造、横浜、高島埠頭に接岸、北洋ベーリング海に向け操業の準備その最中に乗船した。改造後の総量屯は1万2千トン、全長はたしか120メ-トルと聞いた。横浜港に入港していてもこの工船は巨船であったが、タンカー日章丸としては石油運搬にはもう役目は終えていた。その後のタンカーの巨大化は論をまたない。 ![]() |
上 甲板に積み上げたカレイ、スケソウダラ等の魚類はこのコンベヤーで船内に流しこまれた平均漁獲量1000トン(1日)。 北洋べーリング海低魚類 の資源枯渇の前夜 |
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「廉進丸」の航跡 ベーリング海 (北洋漁場)に向けて〜 |
アフリカ アンゴラ ルアンダー沖にて廉進丸、作業船「だいはつ艇」。(まだポルトガル国の植民地であった) | カニ工船 進洋丸(北洋水産)出港 |