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「彩ちゃん頑張れ」

パラリンピックへの道として中西彩(天理大学2年・奈良県)チャン、への応援歌として編集したものです。

中西彩と同時に写る人達の画像とも父親中西康祐氏(画家)より提供いただききました..
 氏と小生とは。彩さんが赤ちゃんのころに仕事を通じ交友がありその後、御子息の彩の兄が四歳のころ小生の家(福井県三方町)に家族と共に宿泊したことがある。左の不動の彩の姿に驚愕,中西家と関係者の愛の中に育まれていることがうれしい。(勿論、想像を超える彩の強靭な努力と姿勢があることでもあろう)友人愛、家族愛。とりまく人々の、人間環境に敬意を表したい。小生には祈る意外かかわる手段が無い。このページはアテネオリンピック用に作成していましたが小生の健康上の理由から今になりました。オリンピックなら「北京へ」の道と書きなおしました。
二分脊椎症(spina bifida)という難病で生まれ、出生後ただちに手術、脊髄管内におさまるよう癌を切除したと中西氏がホームページに記載している。「二分脊髄」の専門書には、この難病は1000人に約1〜2人とある。
参照。「中西家ホームページ」「奈良高校ホームページ」「天理大学ホームページ」。先天異常医学誌。
 中西 彩さん達のアテネパラリンピックの結果やアーチエリー(身障者の方々がこのスポーツを楽しんでおられる事も)等については「中西家」のHPを参照下さい彩さんと父(中西先生)の技術、精神目面の挌闘は各新聞の報道記事に詳しい。(中西彩
HP検索、中西家のホームページを参照してください。)
時計花(花と共に,彩さんへの、応援華)


                (上野晃 画像)