ACT:6

NHK北海道スペシャル(1999.11.18.OA)

みなさん、こんにちわ!

今回のREMEMBERは、去る11月18日に北海道でのみ、

NHKで放映されたものを、UPしました。

もしかしたら、全国版でも放映されるかもしれませんが、まだ見てない人、

見れない人のため、頑張って、音声をひろってみました。

言葉のニュアンスとか、間を感じながら、読んでみてください。

 

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NHK北海道スペシャル(1999年11月18日OA)

 

GLAY   北の大地で

インタビュアー:田家秀樹

 

―もうGLAYはビッグになったから、

北海道の事なんか忘れちゃったでしょうみたいな話が出たりしないですか?

 

TAKURO「…そりゃぁね〜、全般にあるんですけどねぇ。(笑)

その度に実はちょっと、胸が痛いですよ…。

なんかね、なんか、あ、離れて行く感じってそういうとこから始まるのにって思う。

そんなこと、こっちは全然思ってないし、今でもずっとね。離れて暮らしてるし、

それぞれの生活のスピードなんか、違うとやっぱり、

そういう風に感じたりもするんだろうけどなんかね、

そういうこと聴くと切ない気持ちになります。

勿論、そんな事ないよっ、とは言うんだけども、届いてるかなっていう風には思ってるし。

ちゃんとわかってくれてるかなって」

 

―去年のスタジアムツアーの初日が真駒内で、あの時TERU君がステージで、

北海道弁になって全然それまでのステージと空気違いましたもんね、表情が。

 

TERU「やっぱり北海道って…あまり意識してないつもりでも、

やっぱり、海1つ越えるじゃないですか、北海道から本州の方に行くのに。

そういう意識は強いかもしれないですね。

まぁ、東京に出たての頃は、やっぱりちょっとやそっとでは帰れないっていう意識はあったし。

札幌から函館なら、車で行き来できるじゃないですか、でもね、さすがに東京までは飛行機1本、

それか電車で10何時間かけてっていう、そういう長さだったから、やっぱりこう…、

うーん、やっと来れたっていう感じ、毎回そういう気はしますね」

 

JIRO「や、いいっすね。やっぱ、飛行機から降りた時の空気の良さは。なんて酸素が多い

んだろうって思って。(笑)」

 

―函館に居た時は、どれくらいの頻度で札幌に来ていたんですかね?

 

TAKURO「俺はゼロですけどね、…みんなは来たことあんの?」

 

HISASHI「俺はスキーでよく行ってました。うん…あと…Xがねぇ〜当時、

コンサートに来るとか言って、土・日かけて夜行バスを予約して、チケットも取って行ったんだけどね…

メンバーが倒れちゃったとか言って、金曜日ぐらいにキャンセルになったって知ったのかな?

それで結構ショックだった思い出があったんだけど。

でも行ってねーレコードとか、アマチュアのコンサートとか見に行きましたけどね。

すごいいい思い出でもあります」

 

 

函館はGLAYの絆なのか

 

―ビートルズを語る時に、彼ら全員がリバプールだって言うような、

こう…生い立ちとかね育ってきた環境とかって言うのがあって、

彼らの絆が生まれたっていう言い方するでしょ?

GLAYにとって、函館時代からそういう絆があるっていうのは、

重要な事、大きい事なんでしょうかね?

 

TAKURO「ど〜なんでしょうね。どうなんだろう?函館っていう点においては。

…やっぱりあの〜故郷だとか、帰るべき場所っていうのは土地じゃないような気がするんですけどね。

人であると俺はもう、昔から思うんだけど。

だって…地球なんか土のカタマリじゃないか、ぐらいの気持ちで。

今、この4人がこう、上手くいってるのは、共通する思い出があるのと、

性格的が全くもってすごいバランスで、円を描いてるって事なんじゃないですか」

 

―それぞれ違うタイプの性格がってこと?

 

TAKURO「そう…。バンドでドラムが居ないって事は結構致命傷なんですけど、やっぱり

4人の役割として、もう、入る隙間がないぐらい…うん…微妙なモノを作ってきてる」

 

―その入る隙間がないくらいの距離っていうのは、何がそうさせてたんでしょうかね?

 

TAKURO「う~ん…。なんだろ?」

TERU「なんだろね?」

JIRO「なんか、同じものを楽しんでって…楽しめて、年代ってのもあっただろうし…。

ま、そこでは土地柄も関係するかもしれないですね。

例えば俺らが函館時代にアマチュアバンドでやってた時にまわりのコピーバンドが全員、

BOOWYのコピーバンドとか、レベッカのコピーバンドだったり、

そういうバンドたちがポピュラーであったりとかして。

それが、もしか東京にいたら、もっとアンダーグラウンドなハードロックの世界だったのかも知れないし。

そういう点においては、函館に入ってくるものっていうのは、なんとなくメジャーなものばっかりだったんで…。

そういう意味で、やっぱり僕らはPOPな…ロックって言っても

わりかしメロディーを聴かせるPOPな土壌が生まれたのかなって思うし」

 

―函館のあの時代だったからこうなれたみたいな?

 

TAKURO「コンサートとか、特にそうだよな?ライブに対する姿勢とかはやっぱり、

全国ツアー…東京のバンドがやるって言ってもなかなか来てくれないんだったら、

こっちから行かなきゃいけない状況だったら、自分達が今度バンドでツアー周る側になったら、

北海道は細かく周りたいよね、とかね、そういうところで盛り上がる感じっていうのは、

うん、あの土壌があったからだとは思いますよ」

JIRO「同じ北海道出身でも、俺らが札幌出身のバンドだったら考え方、

また違うかも知れない。札幌はいっぱいバンド来てくれるけど、函館は来てくんなかったから。

今でこそいっぱい来てくれるようになったみたいだけど。

だから、今回4月に北海道を周るっていうのも、俺らが、

ドームツアー…北海道がないっていう理由で入ってなかったから、

さすがにそれはイカンでしょうっていうことで、

じゃ、どうせだったら、周ってないとこ周ろうよっていう気持ちになれたっていうのも、

なかなかライブに来てくんない土地に住んでたっていう、それは影響してると思います」

 

―なるほどね。函館に住んでた時に、TV観てて思ってた、

例えばこの人には多分追いつけないだろうなって思ったりしたロックスターの名前、

挙げたりすることできます?

 

TAKURO「いやぁ、それこそBOOWYとかもそうだし、最近ビデオ見たりしても、

やっぱり違うなと思えば、レベッカ…ストリート・スライダーズ…ハリーとかね。

…TVで観てたとか言うよりも、ライブで…とか。

まぁ、それはもう、絶対に自分の中では追いつけないだろうな、っていうのは感じるけども」

 

―やっぱりそういう距離感でした?

TVの中に映ってる人たち…すでに東京で活躍しているスターに対しての憧れかた?

 

JIRO「うーん、やっぱり自分達がロックに対する初期衝動をもった時期にインスパイア

された人たちっていうのは越せないですよね」

 

―それはいまだにそういう…?

 

TAKURO「もう、すでに、何をもって越すかっていうのは…うーん、

はっきり俺の中では答えが出てて…」

 

―あ、出てる?

 

TAKURO「うん、越せないっていうのも出てるし、だからバンドはね、ま、音楽全般にそうなんだけども、

こう…KIDSに与えて行く衝撃度って言ったら世に中を加速して上がって行く時とかね、

バンド自体が。やっぱり一番…出会えたら幸福なんだろうなと思うんだけども。

そういう時期に会っちゃってるから、こっちは10代の1番感受性の強い時期、向こうはもう

1番バンドとして上り調子のいい時期、その奇蹟っていったら、そうそうないでしょ?

で、今、もうちょっと経験も積んだし、知識もあるし、実際作り手側になってるから、そこで

あの時の気持ちをもって、追い抜くっていうのはもう、無理ですよね、それは。

ま、でもただ俺達が音楽作ってる時に、やっぱりこれっていいよね、

このリフってカッコイイよね、っていうところで感動したりするから、

また違った意味で…そのバンドのことはもう、念頭に置かずに、

そういう衝撃は自分の中で作り出す事はできるけど。

…うん、抜く抜かないって言ったら、もう絶対無理だ…。」

 

 

―でもね、数字的な事とか、セールス的な事とか、今までの記録と比べて行くと、

GLAYはもう、かつてそういう過去にあったスーパースターを

全て抜いたという数字が残ったりするわけでしょ?

 

TAKURO「うん、それもまたひとつ、答えは出てて。時代背景がまず違う、

世の中の動きが、その…経済の動きなんてもの、

そういうのがこれだけ情報化社会のなかで俺達が知らないって言うそんなわけがないから、

だから、やっぱり時代を無視して音楽を語ることはできないです」

 

―それは、今の時代だから、あれだけの数字になったという側面があったということ?

 

TAKURO「勿論。うん。時代って言わないでホントに年単位で考えても、

おぼろげながらヒントが見えるくらいですよね。そう思いませんか?(笑)」

 

 

20万人ライブ GLAY EXPO‘99SURVIVAL

 

―函館、札幌から今年その、幕張に行った人たち、たくさんいると思うんですよ。

そういう人たちのこと考えると、今、札幌にいる所為もあるんですけど、なんかこう…

すごい感動的な旅をしただろうなっていうふうに思ったりするんですけどね。

 

HISASHI「うん…しますね」

―北海道の人たちにとって、幕張って言う街は、どういう街だったんですかね?

もし、4人が北海道に居たとして、幕張って言われたら、どう思ったんだろう?

 

HISASHI「どうだろう…初めて印象づいた…現実にそこがあるんだな…って

思った場所じゃないかな。幕張メッセっていう言葉は多少、聞くかもしれないけど、

そこの駐車場を借りて、実際僕らも20万人の人とかね、その広さっていうのを確認したのは

目認したのは、それが初めてだったから、その…幕張って名前よりも20万人の人たちって

これくらいなんだなっていう、その基準みたいなのが出来たのかな、はじめて」

 

―もしその自分が、高校生くらいでね、幕張まで行くとしたら、

やっぱり相当な決断と勇気が必要だったろうなと思ったりします?

 

JIRO「そうですね、まず、親にプレゼンするとこから始めますね。(笑)

俺だったらまず、ゲンコツ一発で終わっていたと思いますけど」

 

―それはダメだって言う事で?

 

JIRO「うん。どうなんでしょうね…それこそやっぱり札幌っていう事じゃなくて、

北海道のいろんなちっちゃな街からとかも、それこそ札幌まで、まず行って、羽田まで行って、

そこから幕張までどれくらいかかるんだろうって、不安ながらに来て、

多分やっとの事でGLAYに逢えたっていう…その気持ちは幕張やる以前から感じてたんで…。

それは北海道だけじゃなく、全国津々浦々から来てくれてたと思うんで、

それこそ、幕張の時に、俺は毒っ気がなかったなぁって

…ホントにありがとうっていう気持ちでしたね」

 

―ホントに素直に言えたっていう?

 

JIRO「うん。」

TERU「その会場に居たことだけで幸せだって言ってくれる人が居て…。

なんかそういうのが嬉しかったし、

ホント全国から、ね、時間かけて来てくれた人たちも多くて、

お金がないからバスで来ましたって人も居るし。

東京に行くのって一大決心だと思うんです。

あの、小学校の時に一度だけしか行ったことがなくって。

その時東京に行くってことだけで大イベントでしたからね、自分の中では。

やっぱり、すごい期待で胸を膨らまして、東京目指して、北海道の人たち、

九州の人たちもそうなんですけど、みんな、集まってくれたんだなぁって、思いましたね」

 

―もう、冬になってですね、夏は遠くなってるわけですけど、今年のその、

1999年幕張っていう…あの光景は今、どういう風に思い浮かびますか?

 

TAKURO「ようやく半年経って思う事は…俺ね…それこそ函館でバンドやってる頃を

思い出して…。幕張のライブが俺にとって何だったかって言う事より、バンドの楽しさ、

バンドのあるべき姿があそこにはあったような気がするんですよね。

だからもう…どういうのがやりたいか、どういう場所でやりたいか、

そりゃぁもう、武道館とか東京ドームとかっていう初めからあるものではなくて、

そりゃぁもう、どこでも、自分達が頑張りさえすれば…

うん…やれるんだってことを、証明したようなね。

結局バンドの楽しさってのは、

そういう考えてる時間とかね…学校の文化祭に俺よく例えるんですけど、

文化祭は、本番の日も楽しいけど、その前の準備も楽しければ、

終わった後の切なさも含めた上で、ひとつの…まぁ…

自分の中での…なんでしょうね…夏なんだろうし、時代なんだろうし。

それをね、猛烈に感じて。リハーサル終わってメンバーとみんなで飲みに行って、

幕張でああしたい、こうしたいっていうのを込みで、

やっぱり…俺にとってはバンドのあるべき姿で、やりたいことで。

それが明確に見えたライブでしたよ…うん…」

 

JIRO「なんていうのかな、アマチュアの頃に、10人が20人になって…動員がね。

…なった時にありがとう!っていう気持ちと、同じくらい感謝の気持ちがあって。

それはなんか、ホールツアーが1時間でSOLD OUTしたっていう時とは、また違った

ありがとうで…ホントに純粋に。そんな気持ちですね…」

 

―どうですか?今20万人振り返って…。

 

HISASHI「うーん、なんか…楽しみ方の、ひとつのヒントみたいなものをみんなに

あげられたかな…それだけ大きなイベントを何ヶ月も前に告知して、みんながそこに向かってね、

GLAYのその日が、すごく大事だったように、どうやって…うん…夏休みを過ごそうかとか、

色んなスケジュールもあるんだけども、その日があるから、次の学校の生活とか、

会社での生活…色んなことがやっていけるような…うーん。

結構僕らから投げかけたり、自分らにも問いかけたりそんな…うーん、ヒントだったのかな、と思います」

 

TERU「同じ目線で、同じ楽しみ方ができた…ライブだったんじゃないか、と思います。

そういう…GLAYvsお客さんじゃなくて、GLAYと会場にいるみんながひとつになって、

同じ価値観をもって、1日を楽しんだ…そんな感じがしますけどね。

だからこう…いつものライブと違った所は、みんながホントに楽しそうにしてくれてるから、

俺も楽しくなったし、そういう、表情がこう…素直に出てるライブでしたね」

 

 

TAKUROの葛藤

 

―作家的に、幕張後っていうのを引き受けた時の感じ方はちょっと違うものがあったのかな

と、思うんですけど。

 

TAKURO「うーーん。…やっぱり…幕張が終わった後にひとつ、ホントにもう、

カラッポになって、GLAYがどうこうとか、音楽がどうこうって言う前に、

自分としてこう…ある意味人生の一番イイ夢見ちゃったな、っていうような感じだから、

これからの夢っていうのは何だろうっていう色々迷いははありましたけどね、

それでも、なんか今のこの気持ちを歌う勇気を持つか持たないかっていうことに、

いわゆる…自分のその、大事なポイントがあったように思うんですよね、今、思うとね。

シリアスな心境を世に出していいのかとか、もうちょっと元気になってから、

もうちょっと軽いパーティソングみたいなほうがいいんじゃないかとかね。

その辺はすっごい迷ったですけどね。

でも…今のこの全てを歌う事が、自分にとっても…それから…

GLAYにとっても、また次の場所へ行くための、

うん…踏ん張りどころなんだろうなという。そう言う結論に達して」

 

―ということは、HEAVY GAUGEっていうアルバムは、

幕張があったから生まれたアルバムって言い切っちゃっていいんですかね?

 

TAKURO「ま、こと歌詞に関してはそうですよ。

勿論サウンド的には、今年の春ぐらいからずっとやってましたから、

まだまだ幕張が現実に思えない時から、スタートしてましたからね。

ただ、それぞれ違いはあるでしょうけど。

こと、歌の何曲かとか、歌詞に関してはそうなんじゃないかな…」

 

―例えばその…悲しみのキワに立ちすくむ2人に 今 世情(せじょう)の雨が降り注いで…

あといくつの夢を踏めば安らかに眠れるのか? もう誰も愛せない…愛すべき者を持たない

あの…ある種の虚脱感だったり、諦観だったり…。

 

TAKURO「それはでも、幕張って言うより、今年…の春にドイツ…ベルリンに行ったり

チェコに行ったりっていう、そういった自分にとってこう…政治とか宗教とか民族とかね…

そういうものを考える上で、すごい…衝撃があった場所なんですよね。どっちかと言ったら

こう…今、28になって、ひとつそういうものに自分なりの考えをを持ちたいな、

持たなきゃなっていう時期にさしかかったのかなっていう風に、俺は思うんだけど」

 

 

メッセージの変化

 

―その辺の年齢的な事、GLAYが歌って行かなければいけないこと、

表現して行こうとしてることっていうのは、どう感じているんですか?

もう、かつてみたいな無邪気な青春は歌えない年齢になってるなっていう…。

 

TERU「難しいですけどね…。その…メッセージに関しては。

やっぱり、バンド始めたきっかけっていうのは、

憧れたバンドがあったりして、カッコイイと思えたバンドに、

より近づこうとして、俺たちもカッコイイバンドになるんだってね。

あとは、歌う事が楽しかったり、ギターを弾いた瞬間に気持ち良かったり、

そういう初期衝動があったんですけどね。

だんだんこう…ライブだったり、アルバムだったりそういう製作活動を積み上げて行くうちに、

歌いたい事の趣旨って、だんだん変わってきたりね。

こういう歌で誰かが元気になってくれたらいいなとか、

色んな、ニュースやなんかでを聞いて、最近どうなってるんだろうな〜って、こう、

考え込んでる時に、自分の声を聞いて、歌を聴いて…また頑張ろう、と思えたり…。

実際こう、俺は今まで誰かの為に歌わなきゃいけないのかな、と思った時もあったけども、

今は、より自分の為に歌おうって…。それによって、もっともっとその歌が広がってくれて、

学校に行きたくないって思ってる子が、頑張って学校に行けるようになったとか、

ちょっとした所で、勇気みたいなものを与えられたらいいな、と思ってるし、

それが実際伝わってるのかは、わかんないんだけども。

実際自分がちょっとしたことで、悩みにぶつかった時に、

いろんなアーティストの音楽だったり、自分達の音楽でやる気になるってことは、多々あったし。

そういう役割を果たしてくれればな、っと思いますね」

 

TAKURO「あれですよね、今、TERUが言った様に、

今までのGLAYが、俺たちの歌を聴いて元気になってくれたらって言うところから、

何もかも出発してるとしたら、じゃ、落ち込む理由ってのが必ずあって、

それはもう、個人もそうだし、世の中全体もそうなのかも知れない

けど、落ち込む原因に対して、未然に何か、警告みたいなモノを歌えないだろうかとかね。

今まではもう、全部、火がつきました、と。お尻に火がついちゃって大変ですてところに、

少なからず、水をかけてあげることしか出来なかったけど、

その、火がつくのを未然に防げるものだったら、そろそろ防ぎたいなっていう。

いつまでももう、事後処理の歌ばっかり歌ってもなぁ…っていうのは実際考えましたよ。

それを超えて、みんなを癒せるような歌が出来たらな、って思うんだけど、

色々な個性の中では、そういった、落ち込んだ時に元気出せよって言う前になんか、

落ち込まないぐらい、強い人間になりたいね、っていうような歌を作り出したのは確かだね…」

 

―なるほどね…。最後の曲『サヴィルロウ3番地』にまさにそういう歌詞がありますよね。

銃声は響き争いは続いても遠い空の下と叫ぶ いつの日にか僕に全てをいやせるような歌を

作る力をくれ…っていう…これはもう、そういう気持ちそのままっていう感じですか?

 

TAKURO「そうですね。こう…たとえば、宗教の違いだとか、肌の色とかね、それは勿論

東京で暮らしてる分には全く感じないんだけども、ひとつ…外に出てみたら、なんか…

ま、勿論、俺にしたらなんでそんな事でって思うんだけど、

本人達にとっては、解決していかなければならない、

どうしても勝ち取らなければならない権利とか、そういうモノであったりするわけで。

でもその前では、さすがに、音楽って無力かもって思うんだけど、それでも、

その人たちに少しでも笑顔が戻るような歌ができたらな、とは心から思った…。

そういう場所に行けば行くほどね」

 

―それは日本にいたら、なかなか感じられないような事だったと。

 

TAKURO「うん…そうですね。日本にいたら、『オマエ気にいらねぇ』っていう歌、

歌って(笑)なんか、スッキリしたんだけど。ちょっと外に出ると、『気にいらねぇ』って言われても

なぁっていうような、言葉も通じない場所がたくさんあったから。もっともっと、大きな何かが

必要だな、大きな何かを身につけなきゃとは思いましたけどね」

 

―HEAVY GAUGEの感想、色んな人から色んな形で届いてるとは思うんだけど、

変わったっていう…反応ってあるんですか?

 

HISASHI「やっぱり多いですね。流れ的にはね、自分達の中ですごく、

100%理解した上でやったんだけど、

それをね、CDっていう、すごく流通の大きいものでやる事によって

変わったと思う人は多かったと思いますね」

 

―その変わったと言われる事に関してはどのように答えてるんですか?

 

HISASHI「う〜ん…。……良く変わったでしょ?っていう風に。いい方に…うん。

でも、もって来た最初の原石みたいなモノっていうのは、なんら変わんなくて、

曲の作り方もいつもと一緒だったりするんだけども、

やっぱり、音に…こだわってるんだな、って…

そういう所を聴いて欲しいですよね、うん…」

 

1番大切にしているもの

 

―じゃあその…一番大切だと思ってる事を。

 

TAKURO「一番大切だと思ってる事は、この後に及んで、

この状況において、まだ、いやなおもバンドを楽しんでるメンバーの姿だろうな。

やっぱり、言われますよ。すごい活躍をしてるから、やっぱり忙しいから、

メンバーとも四六時中逢ってるから、どうですか?バンドの仲

とか、雰囲気悪くなったりしませんかとかね、質問があったりしますけどね、

それでもスタジオに入ったら、全然変わらない、…楽しみ方をしてるっていう、

それはもう、俺の誇りでもあるし、ホントに奇跡だなとも思うしね。

確かに、GLAYというモノがどんどん大きくなればなるほど、

重荷をしょいながら歩いてるなということもあるけれど、

でも、音楽に触れてる時は全く変わってない。

「このリフ、かっこイイよね」「とりあえず、Aから始めよう…ジャーン」ってやったり。

それは、その点においては、過去のどのバンドよりも勝ってると思う。

憧れたバンドをも超えただろうなとも思う」

 

TERU「なんだろうな…やっぱりこう、楽しむってことじゃないかな。何に対しても。

そりゃ、辛い時もあるかもしれないけど、その中でちょっとした楽しみを見つけたり、

そういうのがすごい上手いバンドだと思うんですよ。

どんな状況においても、楽しさを見つけて行く事ができるっていうことが、大切なような気がしますけど」

 

―JIRO君にとって1番大切な事ってなんだろう?

 

JIRO「う〜んそうですね、自分達の音楽とか、ライブとか見て、人の心を動かせる…

ちょっとでも前向きに動かせたらな、っていう事ばかり考えてるな、最近だと。

それこそ幕張とかにいっぱい来てくれて、田家さんが言うように、

いっぱいの人を動かせたのかも知れないけど、

それこそ、色んな事情で来れない人たちって、全国にいっぱいいるだろうから、

だから、そういう人たちの為に、ライブを色んな所でやりたいし…。

いい作品作って聴かせたいなって思うし。それこそ、色んな人たちが、俺たちのことを、

「もうロックじゃない」とか「メジャーだ、どうじゃこうじゃ」って言うけど、

ホントにたくさんの人たちに聞かせるチャンスっていうのを俺らはすごいもってるから。

人の心を動かす、モノが俺はロックだな、と思ってるので、

これからも、どんどんいい音楽聴かせてあげたいな、と思ってますけどね」

 

―HISASHIくんは?

 

HISASHI「ん…自慢になってしまうかもしれないですけど、

GLAYのメンバーってのは、多分、向かう場所が一緒なんですよね。

うん…だから、ちょっと違ったりしても、そこで自分なりに楽しめるような場所を捜したりして、

そうすることによって、その…到着した終点みたいなモノがすごく広くなってね、

またそこから…じゃ、今度はちょっと険しい道へ行こうかっていうところで、

うん、その岐路でね、いろんなモノを拾ったり、要らないものがあったり、

すごく大事な人と会ったりとか…常になんか…4人で旅してるような…うん。

しかも、その…いく場所はみんな同じで。

途中誰か、道それて…そうなると多分ソロ活動の方に行くと思うんだけど。

よくね、ソロの作品とか、聴いてみたいですとか言われるんだけど、

なんか、それこそも、全部GLAYの中で出来てしまうぐらい…うん。そんな…場所ですね」

 

GLAYはどこへ行くのか

 

―1人づつ今後こうなって行きたいっていうのを話していただいて…。

 

TERU「やっぱり、まだまだ小さい町なんかにも足を運びたいし、

まだまだライブを見たくても見れない子たちはたくさんいると思うんですよ。

それはこう…年齢がね未成年で、お父さんお母さん同伴じゃないと、行けないって子もたくさんいるし、

あと、自分のお小遣いじゃ、チケット買えないって言う子もたくさんいるし。

だから、もしこう…自分達がその子たちの為に何かしてあげられるとしたら、

その子たちが、自分の意思で来れるような時まで、

俺たちが頑張って、この活動を続けてあげる事かなって。

その子たちが大人になってGLAY見たいって思ってくれるんだったら、

それまで、俺たちは頑張るし。俺たちの為にも頑張りたいって思うし」

 

HISASHI「なんかね…中学の頃、手のつけられない不良と友達だったんだけど。

でも、そいつもやっぱり、音楽が好きで…同じ話題になると、

すごく、お互いイイ顔して話し合えたっていうのもあって。

やっぱりみんな音楽が好きなんだよな、っていう所を俺はサウンドで表現できたと思うし。

ま、HEAVY GAUGEツアーが終わる頃には、また違った意見もあるだろうけど、

今、ホントにアルバムができて、自分ですごい難しい、新しい方程式を作って、

それをツアー中に解読して行くというそんな作業が、

レコーディングとツアーのワンセットみたいなものなんですよ。

だからHEAVY GAUGEっていうものが、解決するのは、

ツアーが終わってからだな、って思うんですけど…うん。

それはね、必ず答えが出るって自分で解っているだけに、

うん…今はすごくね、目標が明確にありますね。

その、HEAVY GAUGEツアーってものに…」

 

JIRO「う〜ん。どうなんだろうな。

それはファンの人たちが何を求めているのかによって変わるかもしんないっていうパターンが1つと、

あと、バンド側として何をやりたいかっていうので、

それを考えつつ、ん…色々変わって来るとは思うんだけど。

個人的には、まだまだ色々ありますけどね。

GLAYの音楽もまだまだ、それこそ、第2期に突入したくらいのまだまだやりたい事とかもいっぱいあるから。

それこそ、もっとベース上手くなりたいな…とか。(笑)

うん…そのぐらいの気持ちでやってっている方が、なんかバランス取れるんじゃないかなとは、

なんとなく最近は思ってるんですけどね…うん」

 

―GLAYの今後行く場所っていうのは、どういう所なんでしょうね?

 

TAKURO「GLAYが今後行く場所?……じゃ、逆にGLAYは、どこに来たんだと思い

ます?…今、どこからどこに来たんだと思います?」

 

―函館から東京に来たってのもありますけどね(笑)、だって…。えへへ。

 

TAKURO「それじゃぁ、あまりにも…。(苦笑)どこへ行くか…。…でもね…。

それこそ、今年の夏に『ここではないどこかへ』っていう風に、

そういうタイトルの曲を出したんですけど…よく言われるその…レールが敷いてあって、

レールに敷かれた人生なんてイヤだって言う風に言うような、そういう話はよく聞くじゃないですか。

まさにね、俺たちこの先っていうのは、どうなるか判らないんですよね。

だから面白いし、だからやり甲斐があるし…。

千にも一万にも出来るしね、何億って言う、何億倍っていう風にも膨らませられるし、

もしかしたら、あっという間に縮んじゃうのかもしれない、でもその膨張率って多分ね、

計り知れないんですよね。だから、やり甲斐があって、ホントに未知で面白いんですよ。

だから、これからどこに行くんですかっていう質問がたくさんあるし、今までもたくさんあったんだけど、

1年先がイメージすると真っ暗なんですよ。でも真っ暗な先にやっぱり…光があって、

その光をもっと輝かせる為に、この1年があるようにね。

これからは、どこどこ行きます、例えばもっとロックよりになって…テレビとかに出てあんまり

ニヤニヤしたりしない様にとか…っていうのは、すごい俺にとっては膨張率2ぐらいの。(笑)

でも、何もかも受け止めて、何もかも消化して、何もかも音楽で吐き出した時の、

その…広がる可能性っていったらね、GLAYにはまだまだ…判らないけど感じるから。

やっぱり、夢はたくさんありますよ。

レディング・フェスティバル(イギリスを代表する野外音楽イベント)に出てみたい、

ウッドストックでやってみたいとか。

それこそ、今度日本であの幕張を、九州、北海道…色んな場所でやってみたいとか、

そういうのはたくさんあるけれど、なんか、それもこれも、今後の自分達が過ごす、

1年なり2年なりの輝きによってだなって思うんです。

だから、ホントに、「ここではないどこか」へは行くんだろうけど、

それは誰にも判らないから面白いんです。だからGLAYなんだなと思う…」

 

―まぁ…あの…この番組の冒頭で「Winter,again」のビデオが流れてるんですけど

今年…北海道ツアー、何本か一緒に見せてもらって、

雪の北海道がこんなに素晴らしいのかと思ったんですよ。

ですから、来年のHEAVY GAUGEツアーも北海道で見たいと思っています。

あの…僕が言うのもヘンなんですけど、北海道…度々来てやってください。(笑)

今日は、どうも有り難うございました。

 

 

by MIKO

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