2004年2月6日、7日、8日(金土日)

韓国3日間衝撃の旅

 

 

【2月5日】

 

------ 雪の中出発(〜〜)------

 

出発翌日、相棒からの電話、急用で仕事が入り、終わりそうになりとの連絡。私も同様に出発ぎりぎりまで仕事に追われていた。なんとか必死の作業をする中、さらに相棒からの電話。今度は雪が降り始めたとの事で、焦っている様子であった。しかし取り止めるわけには行かず、なんとか仕事を必死になり片付けた。焦る気持ちを抑え自宅へ。夕食の準備をし、風呂へ入り、タオルを頭に巻いたまま出かける仕度をした。最後にチケットとパスポートだけを再度確認、予定の時間より少し早めに自宅を後に。その時にはすでに我が家のまわりも一面に雪で白くなっていた。これから高浜までは1時間。不安の中、車を走らせた。上中〜小浜と雪がまったくなく安心していたのも束の間、大飯町へ入ると、雪が本降りとなって来た。高浜に着く頃には道路がまた一面白くなり車から降りるのも嫌になった。

近くのスーパーの駐車場に愛車を止め、相棒に家に着いたのが10時30分。トランクに私の荷物をつめてもらい楽器の準備などし、積み込みを開始。そこへ榮先さんからの電話。現状報告をし、充分気を付けて行くと報告。お出迎えよろしくと言って切った。

積み込みも終わり、出発!フロントガラスには、相変わらず雪が激しく打ち寄せて来ていた。ガソリンを入れ、練習曲を聞きながら、ゆっくりと舞鶴へ向かう。舞鶴西から高速へ‥‥‥入口付近では雪があったのも少しばかり走るとなくなり、二人は同時にほっと一息付いた。

 

【2月6日】

 

------ 深夜の関空 ------

 

時計はいつしか12時をまわり、翌日の6日となっていた。深夜の高速は貸しきり状態で、雪がないので関空までは余裕。遅いくらいのスピードで向かった。

午前4時前に関空へ到着。3B70に車を止め。ゲートを渡り空港内へ。深夜の為、入口は1階のみしか開いておらず、少し迷いながら地下にあるローソンへ。私はおでんと日本酒「菊水」を買った。相変わらずの人間である。(汗)相棒はビールとサンドイッチを購入。やはり私と違う。(再び汗)空港内は暖かく私たちは4階へ行き、暫し出発迄の間、構内でゆっくり寛いだ。

 

7時前になると空はすっかり明るくなり空港内にも人陰が多くなった。

私たちも荷物を預け、カメラのフイルムを買って朝食をとった。その間、兄からの心配する電話もあった。まだまだ余裕があると思っていたが、搭乗するまではあっと言う間に時が過ぎて行った。

 

------ テイクオフ ------

 

9時40分予定道理にKOREAN AIRは関空を飛び立った。機体はゆっくり旋回し上昇した。窓の外は快晴。雲がゆっくりと、ゆっくりと流れて、機体は水平飛行へ。機内食は和風でおそばが付いていた。私は少し微笑んで本日3度目の朝食を楽しんだ。満腹感が続いていた。

少し私はうとうととし眠りについた。雪の中出発して来た自分達が嘘のようにゆったりとした気分であった。相棒は緊張が続くのかあまり眠れない様子であった。

 

------ 2時間のフライト ------

 

午後12時前、多少の遅れはあったが、ソウル「ニンチョン空港」に無事着陸。

そそくさと降りる準備をし、税関へ、多くの人達が並び出る迄に暫くまった。自分達の預けた荷物をとりゲートを抜けた。そこには、ゆったりとした笑顔の榮先さんが待っていてくれた。当日は車でのお迎えであったのだが目的地「保寧」では雪が積もり安全を考え、列車に乗り来てくれた。どちらにしても本当にありがたい事である。御苦労かけます。(__)

空港で用をたし、2万円を両替。外へ出た。両替も何も言わずにお金をだしたら、その分だけ入った封筒をにっこりと渡された。あまりのあっさりした対応に、少し拍子抜けした。

 

------- リムジンバス ビビンバ ------

 

快晴のソウルだが気温が低く肌をさすようにも感じた。列車移動の為ソウル駅まで高速バスへ乗り込んだ。このリムジンバスは、レザーシートで椅子自体も大きくゆったりとして乗り心地が良かった。窓から見える風景や建物をカメラに納め、ソウル駅に着いたのが1時30分前。

街の風景は日本とあまり変わらないと感じた。写真をもっと撮りたかったが、両手を楽器でふさがれていると身動きがとれなかった。

駅のターミナルで昼食をとった。ビビンバを注文。コチュジャンがたっぷり効いて、火を吹く辛さであった。サイドメニューにはキムチやナムルなどが4種類ほど出ていたが、まったくこれと御飯でOKって感じもしたじょ。あまりの辛さに「お水下さい」と言いたかったが店員が遠くて無理。もう少し勇気を出してはじをかけばよかった。今度は頑張ろう‥‥‥

席を変えて喫茶店へ、窓から見える町並み、店内音楽、ボリュームを絞ったTV、雑誌を読む人、カップル、家族、そこは日本と変わらない風景であった。

 

------ セマウル号 ------

 

列車の時刻になり、改札口で榮先さんから切符を頂いた。構内を抜け階段を降り車内へ、指定された席に腰を降ろした。席は楽器の分も考え4席用意して頂いた。感謝です。列車に乗るのも久しぶりであるが、車内は出発前には音楽が流れていたせいもあって日本より和気あいあいとした雰囲気が漂っていた。列車はゆっくりと駅を出た。揺れをあまり感じず快適であった。車内アナウンスには日本語でも次ぎの駅を知らせてくれた。私たちは録音した練習曲を聞きながら話に花をさかせた。私が歌うカタナカ韓国語の曲には榮先さんひたすら笑っていた。話し疲れ、車内販売が来てドリンクを買った。いくらか分からず1000ウォンを3枚出していると、さっと取られ、おつりをかえされた。この売り子(男性)が何度か車内を通り、ビール、サンドイッチ、オレンジジュースなど売り声を発すると、オレンジジュースでいつも声が裏返るのである。さすがに3度目くらいになった時、車内には笑いが生まれた。何故かした私はこの事で列車内にいる韓国の人の優しさやユーモラスを共有する事が出来、ちょっぴり幸せな感じがした。

目的地のテチョン駅に近付く頃には少し時間があり、私たちはそれぞれ目を閉じて眠りを楽しんだ。

 

------ 初めての街 ------

 

3時間近くの列車の旅の後、無事に駅に着いた。荷物を抱えフォームに降りた。前を行くカップルの男性がハーモニカを吹いていたのが記憶に残る。確か横に座って居たカップルだと思う。駅は懐かしい感じがしたが色使いがやはり日本と違う、切符は自動ではなく手渡しであった。受け取る改札員にも優しさを感じた。それは少し前の日本にもあったはずの雰囲気だ。駅の待合室には多くの人が溢れていた。

私はこれから何をしてどこへ向かうかを分からない状態で榮先さんの後を付いて行くばかりであった。

 

駅を出て小さな広場ではダンスや曲芸をする人が見られた。また、交差点正面の飲食店先では、女性二人がダンスと歌で呼び込みをしていた。TVでは見た事があったが実際に見る事が出来、ちょっぴり得した気分!? 内心は写真を撮りたかったが、少しの弱気と荷物で両手がふさがっていたので諦めた。ここでも少しハジをかくべきだったのか??

 

駅へは榮先さんの旦那様が車で迎えに来てくれた。街には車が溢れて駐車するスペースが無いため付近をぐるぐると廻っていてくれたようである。榮先さんが旦那様の車を見つけると、強引に車をとめ降りてくれた。四輪駆動の日本で言うパジェロタイプの車だった。力強い握手をして、私たちの荷物を積み込んでくれた。挨拶もそこそこに車へ飛び乗り、車は「保寧」の市内を走った。人と車でごった返す狭い交差点には信号が無いが車は事故もなくすれ違って行く。これも慣れなのだろうか?町中には魚市場の風景もあった。

 

------ ホテル ------

 

今日の宿である。扶餘(プヨ)の扶餘文化観光ホステルへむかった。山道には雪が残る冬の山を横に見ながら夕暮れを過ぎ夜になって行った。少し迷いながらも7時くらいに扶餘文化観光ホステルに着いた。チェックインするには遅い時間帯であったが、私たちを優しい言葉で迎えてくれた支配人。チェックインをすませ、各部屋へエレベーターが使えず、大きなトランクをかついて3階へ。扉を開けた瞬間ほっとする気持ちがわいた。室内はオンドル(韓国では必ずと言って良い程使われている床暖房)のじゅうたんが敷かれ足下から暖かさを感じた。荷物を置くとほっとし、TVをつけた。やはり日本人なのか!?

風呂へ入り、TVをつけた、もちろん韓国語の放送なので意味は分からないが、日本と同じ形態の番組に親しみを感じた。

 

午後8時になり1階へ、食事へ向かった。

外は一面雪景色となっていた。静かだった。街灯が雪景色を照らし綺麗であった。さらにゆったりとした気分になった。食堂ホールは私達だけで、室内をあたためる為に、大きさ1帖くらいの、見るだけで電気代がかかりそうな電機ヒーターの音だけが静かに空気を揺らしていた。

 

私達は少し迷いながらもメニューにある魚の鍋物を頼んだ。ここでも副菜であるナムルが数種類、ゼンマイの煮たものなど8品目くらいが食に華を添えていた。私は昨日から何か食べ続けている感がしたが一向に食欲が劣る事なく箸が進んでいた。たぶん普段自分で作る習慣が付いているので、用意されたものはどれも美味しく見て、味を確かめたくなるのと、残してはと言う事が同時にも働いたのだろう。ビールを数本あけ、コーヒーを頂き、緑茶を頂くと満腹感にほろほろとなった。

 

遅い夕食にもかかわらず親切な対応をして頂き、私達は部屋へ行き、打合せに入った。午後9時。楽曲での話し、コードネームの確認、ギターとマンドリンを奏で、隣には誰も泊まり客が居ないと思っていたのだが、息を潜めるように歌った。合方は時折、楽器を持ちながら居眠りをしていた。これは仕方ない昨晩から、24時間以上は眠ってないんだからね。お疲れさま。12時を廻り、眠気がピークになった頃、お開きにして各自が床についた。流石に誰もが直ぐに眠りについた事は言うまでもなかった。

 

 

【2月7日】

 

------ 雪と観光 ------

 

翌朝7時30分。うつらうつらしていた自分がいたが、時間が分からず眠っていた。合方に起こされ時計を確認。8時に朝食で慌てて顔を洗った。

外は昨晩の雪で一面おおわれていたが快晴。光と雪景色に思わず、外へ飛び出し写真をとった。朝食はパンにコーヒーであった。ここ最近、朝食を食べる事がなかったので、こんな時間も私には必要だと改めて感じた。また時間がゆっくり流れた。

 

9時になりタクシーで「国立扶餘博物館」(クンニプ プヨ バクムルグァン)へと足を運んだ。タクシーの中はラジオから音楽が流れていた。日本より遥かに庶民的と言うか運転手を身近に感じた。車のハンドルには装飾されたカバーが巻かれ、ましてやサングラスをして皮ジャンと言う出で立ち。しかし、このお兄さん。降りる際には、明るい気さくな挨拶と、こちらが手を上げ会釈をすると、気軽にかえしてくれた。人の良さをここでも感じた。よかった。ありがとう。

 

博物館前は雪を人の通る所だけほうきか何かで掃き道が付けられていた。数枚外観の写真を撮り館内へ、日本語アナウンスヘッドホーンを借りて頂きつけた。

1993年オープンの新しい博物館。旧博物館の表示物を移し、韓国の先史、歴史、仏教美術、企画展示の4つの展示室と野外展示で約1000点の遺物を常時展開している。

展示会場を回り終えると、最後に売店であり合方は歴史が好きな事もありパンフレットを購入していた。私はやはり歴史にうとくぼっとしていたような気がする(〜〜)

 

そとは寒いが青い空と白い雪のコントラストが眩しいくらい印象的であった。

※トイレは後で紹介。暖房設備。

積もった雪を手に取ると、水気が少ないのかさらさらの雪であった。

 

 

------ 定林寺址 扶餘山城 ------

 

町をゆっくり歩き次ぎの定林寺址(チョンニムサジ)へ向かった。町並みはほんと日本と変わらなかった。少し建物の配色違い、看板がハングル文字だと言う事だけでね。魚屋があり教会があり民家がありビルが立ち並び、学校があった。緩やかな坂を、雪を踏み締めながらわいわい言いながら歩いた。寒いが気分も気持ちも晴れやかで良かった。凄くよかった。

ここでも館内を取り囲む掘りは伝統的な韓国の建物を象徴した色合いとつくりがなされていた。中へはいると、中学生なのかボランティアで雪除けをしていた。

塀に囲まれた野球グランドが3つくらいの面積の中に2つの建物と池、どう言う意味であるのか私には理解出来なかったが、天気は良いのだが凄く寒さが肌を差した事を覚えている。

お堂の中へ入ると、見上げるようい、優しい顔の石仏座像がたっていた。歴史を知らない私には、まか不思議であった。すまん(__)

建物はここでも、赤と緑のコントラストが綺麗であった。

定林寺址(チョンニムサジ)の紹介

扶余の街の中心部にある定林寺址は、百済時代の代表的な寺院跡のひとつ。敷地のまん中に立つ五重石塔は6世紀中ごろの創建と推定されるもので、百済時代の重要な遺物。

また高麗時代(10世紀〜14世紀)に作られた石造仏座像がある。石仏は長らく屋外にあり損傷と磨耗が激しかったが、現在は建物の中に納められている。

定林寺址からはかつての仏教文化隆盛を思わせる数多くの出土品があり、それらは国立扶余博物館で見る事が出来る。

 

寒さを感じながら扶餘の町並みを歩いた。少しして喫茶店へ入ろうと言う事になり道を尋ね地下にある喫茶店へ入った。ガラスの開き戸を開け入ると暖かかった。ほっ。1フロアーの中心には2席のファミリー席とサイドにはカーテンで中を仕切る事の出来る個室風の4人掛け席が4つあった。これはカップル用にも感じられた。席幅が狭くて窮屈だったのが一番の印象かな?私はなぜだか普段の飲んだ事も頼んだ事もない、ホットミルクを注文。でも凍えたからだには凄く良かった。ごちそうさま。

 

次ぎへ行ったのは、扶餘山(プソサン)で、入口付近で会った家族連れがいた。旦那さんが子供の写真をとり楽しくはしゃいでいた。時折奥さんが叱るように子供達に何が言っている。言葉は分からないがまさに日本でも良く見る光景であった。その家族をしり目に私達は先を急ぎ歩いた。公園内は一面雪景色であった。上り坂が続きお堂が見えたので、ここかなと思いきやまだまだだと言う。この雪にもかかわらず、山道には家族連れがいた。私達は時折冗談を言いながら、笑い、上り坂の雪道を歩き、そしてまた下った。途中には出店もあり、日本人だと気付いた店員が合方に日本語で「200円なので買ってくれ」と声をかけられたらしい。やはり雰囲気が違うらしい。

凄く歩いた。どこぞへ行った時も歩いた記憶がよみがえる。(※どこぞは→ハワイ編をみてね)

 

随分歩いた雪の中、 落花岩と書いた石像の近くに百花亭(落花石から投身した宮女たちのメモリアルとして1929年に建てられた。四方が見渡せる。)と言うお堂があった。少し高い所にあり登るには下が凍っていて歩くには凄く注意が必要であった。しかしここでも見られる配色は、韓国伝統のものであり、素晴らしいものであった。このお堂付近を少し降りると、川が見え冬の景気が広がった。

 

そこからまた、200mほど歩き、急な階段を降り船着き場付近で用を足した。資料館でも用をたしたのだが、韓国のトイレには暖房が効いていた。入っただけで臭いよりほっとするものがあった。また寒い外へ出て、降りて来た急な階段をまた登り、皐蘭寺(百済最後の非運の王、義慈王にゆかりの寺。百済の王が愛飲した湧き水が裏手にある。)へ立ち寄った。近くには金付き堂があった。

ここは何故だか私にはあった。色合いなのか?中に鎮座する石像がよかったのか?凄く心が和んだ気がした。ここでは自動販売機でココアを飲んだ。あまり美味しくなかった。普段から飲み付けてないせいもあったのだろう。すまん(__)おごってくれたのに(__)

最終船着き場へ行き、舟の出るのをまった。榮先さんはチケットを買い、私達3人だったのが舟を出してもらうよう交渉をしてくれたようだ。ありがとう!舟は3人を乗せ貸しきり状態で出向!山は雪に覆われキラキラして雰囲気に気分はとてもよかった。船内では、やたやたらにシャッターを切っていた。15分弱でもう一つの船着き場(グドレの船着き場)に着いた。そこにはバスで来た観光客がたくさんいた。すれ違う声はあたりまえ韓国語であった。プヨと言う言葉だけがわかった(苦笑)

 

榮先さんが朝私達を送ってくれたタクシーのお兄さんを再度呼び、迎えに来てもらった。お兄さんはやはりサングラスなのだがにこやかさを感じされた。私達はホテルへ戻り、チェックアウトを済ませ遅い昼食をとりながら榮先さんの旦那様のお迎えをまった。予定どおりに2時30分に旦那様の車がとまると、荷物を車に積み込んだ。榮先さんがホテルの支払いをして下さった。ありがとうございます。(__)

最後は支配人も車まで見送りに、この支配人は宗富徳似であった。(合方観察)

 

 

------ 扶餘から保寧へ ------

 

車は山道をゆっくりと走った。今日観光した事や曲の事などで話が弾んでいたのだが、車の調子が悪く、少し焼き付いたような臭いがしはじめ、車を路肩へ止め確認した。やはり異臭がする。旦那さんが携帯でディーラーへ連絡。早口でしゃべっているが、やはり韓国語分からない。心配。車の回りの分からないまま4人がぐるぐるのみまわった。ディーラーの返答にどうやら少しなら大丈夫なのか、再び車を走らせた。私達は榮先さんのお宅へ向かった。山あいを抜け最初のテチョン駅の町を抜け、湖のほとりを暫く走ると岡の上に榮先さんのお宅があった。たくさんの犬達が一斉に歓迎してくれた。そして玄関には息子さんのスンモくんの姿があった。荷物を降ろす前に思わず握手をした。とても優しさが溢れんばかりの子であった。玄関から中へ入ると娘さんの「ダヨン」ちゃんが居た。最初だったせいもあり、無口のままずっと下を向いてしゃべらなかった。

 

私達が本日泊めて頂けるお部屋に案内され一息つこうとした時、リビングから音楽が流れて来た。それはなんと先日ボロボロになって録音したCDであった。私には強烈であった。そこで合方が一言「ドア越しに聞くとなかなかやね」爆汗(^^;;;そのBGMがこの旅の最後まで続くとはその時は思わなかった。

韓国の駄菓子を頂き、緑茶をすすると少し日本の感じがした。私にはコーヒーなどは普段飲み付けてないせいもあった。韓国へ来てからは水より、湯がいつも食前に並べられて居た。

韓国での始めての一般住宅。韓国へ来る少し前にオンドルと言う床暖房の話しを聞かされていたので、このオンドルにも興味があった。この部屋もそうであるが前室がカーペットタイプのオンドルである。このオンドルによって、部屋中の空気が暖かくなる。暖房はこれだけで良いのだ。部屋中が暖かいのでドアは開けっ放し、子供は半袖に寝転び、冬でも活動的に色んな事が家の中でも出来る。素晴らしい環境である。電気料金が少し心配なのだが???大きなお世話か><

 

私達は部屋で荷物を片付け、ささやかであるがお土産を渡す事にした。私達はそれぞれ持って来たプレゼントを渡した。私の分はまったくと言っていいほどつまらないものであったが、こちらが恐縮するほど嬉しく受け取って頂けた。ありがとうです。

 

スンモくんとダヨンちゃんは御留守番。

 

------ 大川海水浴場 CDショップ ------

 

私達保寧の海へむかった。向かうにつれ雪が舞いはじめた。

海岸付近には露店が並び、車はすれ違うのが背一杯であった。冬の海岸通りなのに人が溢れんばかりである。日本では考えられない光景であった。手を繋いだカップル、凧上げをしている家族連れ、砂に文字を書く子供誰もが冬の海を楽しんでいた。車を降りて砂浜へ降りた。やはり夏の海と変わらない光景がそこにはあった。ましてや海に入っている人もいた。後で聞いたが韓国の人達は冬の海が好きだと言う。国民性の違いなのかなぁ・・・日本でもこの文化が定着すれば冬の海岸でも商売がきっとなりたつはずである。こんなに活気に溢れた冬の海は見た事がない。相棒としきりに不思議さを噛み締めていた。

 

駐車するスペースがほとんどない海岸通り、旦那さんは周辺を車で廻って時間を潰してくれていた。感謝です。再び車に乗り込むと、本屋とCDショップへ行く事になった。本屋では私は住まいの本を購入。この1冊であったが、やたらと親切に物を探してくれ説明もしてくれた。まったく言葉の分からない私達にもね。ありがとう!帰り際にレジ横にあるポストカードを数枚もらった。ラッキー(^^;

その後CDショップへ、めぼしいものは無いかなと思い、得意のジャケットだけで判断した。可愛いおねえちゃんのジャケットもあったがグット堪えて、店内をぐるっとまわってパンフレットだけもらって帰った。

合方は何やら店員にいろいろ尋ね数枚購入したようだ。そこへ車のメンテを終えた迎えに旦那さんが店内へ。

 

町はすっかり暗くなり、雪が少し舞っていた。車は湖のほとりを抜け自宅へと向かった。また、最初のお迎えは犬達であった。

家に入るとやはりオンドルがあるせいか、寒暖の差を凄く感じその良さを感じた。

慌ただしく家の中へ入り、車の中で今晩教会での演奏の準備をした。後30分も無いので数曲合わせたが、無謀なくらい無理のような感じがした(汗)ばたばたするように楽器を積み込み、家族みんなで車を教会へと向かった。

 

------ 教会と温泉 ------

 

教会横の集会場なのか、たくさんの人が集まっていた。相変わらず韓国語での挨拶に躊躇するばかりで、言葉にならなかった。

靴を下駄箱へ入れ室内へ入る。20帖くらい?いやもっとあったような気がするフロアーに座卓が置かれ食事を皆さんがしていた。私達は演奏が先だと思っていたのが食事をしてくれと言われて、皆とは少し離れた場所で夕飯をごちそうになった。

歌う前なので美味しかったが少し控えた。ここもやはりオンドル(床暖房)が入っていた。

 

他のテーブルが少しずつ片付けられ始め、最後くらいになり、私達も演奏の準備をする為に2階へ移動した。

ここでマイクのセティングしミキシングの調整をした。ほんとぶっつけ本番になりそう!少し緊張、水を何度も飲んだがやはり食事が効いているのか、調子がわるい><

演奏前に自己紹介!言われた通りとは言わないが、通じる訳もなく一応挨拶をしたが、やはり皆さん不思議そうな顔であった。さて演奏、歌い出しが問題だろうと思い1曲目からノードル川辺。ぼちぼち、やはりあなたは愛される為うまれたひと、サラウロ、初恋など歌った。1曲ごとに丁寧なお辞儀をした。つたない演奏にも暖かい拍手を頂きありがとうございます。なんとか韓国での初演奏を終わる事が出来た。

カムサハムニダ・・

暫くソプラノのおかあさんの歌を、少し緊張ぎみに傍らで正座をして聞いた。やれやれと思う気持ちが出て来た頃、何かアンコールと言う言葉が聞こえ、初恋とアリランを演奏した。やはり声が出しにくく辛かった。アリランはまさに緊張でした。後で聞いた話だとやはり「初恋」は韓国で流行っているので良かったと言う事だったが、私には全然声がのってなかったので反省ばかりであった。

 

今回の形が次回にはもっと多くの人達を前にして歌うのかと思うと、どうなるのだろうと不安ばかりがつのり、戸惑う自分がそこにいた。

演奏が終わり挨拶をしてばたばたと片付け、私達もそそくさと退散した。

夜の街、お疲れさまの言葉。車の中。次は温泉へ行くと言う。1時間などと私には聞こえた??またどこ迄移動するのかな?と思ったけど、直ぐ近くであった。4階建てのビルの地下に車を止めた。駐車場は少し鉄分と排ガスの臭いが混じっていた。

エレベーターを待ち、乗り込む際に出て来た人の顔が赤くほってっていた。4階カウンターで料金を払い、上下のユニホームらしいシャツとパンツを貰い、浴場へ向かった。靴を下駄箱に入れ番号札を手に、その番号札キーがロッカーと連動していた。すっぽんぽんになり浴場へ、日本と違って腰をかけて洗う事はなかった。立ったままでシャワーの調整に、少してこずりながら体や頭を念入りにあらった。

湯舟にゆっくりつかった。良い気持ち!これは日本とはまったく変わらない。横の湯舟は水温が高め、奥にある長い湯舟は冷水であった。後はサウナが2つと、横ではアカすりと言うのか、ひとりの男性がそれをやってもらっていた。

旦那さんとふたことみこと話すと、こちらへと促す合図について行くと、サウナだった。最初の方はサウナ内に、炭がはり巡らされていた。炭の臭いをほのかに感じ、暑くて長く居る事が出来なかった。その横にもサウナがあり試しに入ったが、こちらは石で覆われたサウナで、また一段と暑かった。@@

 

入浴を済ませ、ロッカー前でこれからどうするのかな?と思っていたら、スンモくんに呼ばれた。後を付いて行くと、あら不思議、そこは50帖くらいのスペースで男女が混合になったフロアーで入浴後寛ぐスペースとなっていた。みんなが床に座ったり、ねそべったり、大きなモニーターに写し出されるTV番組をみたり、昔の日本にもこんな風景があったような気がした。しかし、男女が混合で同じスペースを共有する事は無いはず、しかし家族、人と人との触れあい、隔たりが、ここには感じられなかった。フロアーには色んな設備があった。やはりここにもサウナが温度に別れてあった。また促されて入った最初のサウナは入口だけで断念した。次ぎのサウナは何とか入ったが10秒も我慢出来ず出て来た。その後、入口に表示する温度を見たら、88度あった。@@また促されるように、サウナへ連れられて行くと、強引に座らされた。座ると少し気温が低いせいか、なれたのか、我慢出来る。最後には床に腰をおろし壁際へと座った。この暑いなかで体操をしている人もいた。不思議と言うより、自分の気を確かめる事の方が先であった。そうだな5分くらいだっただろうか??少し汗をかきはじめて、このへんが限度かなと思い出た。

そとでは皆がにこやかな顔で向かえてくれた。私はほっと息をし、フロアーにどっと座りこんだ。

相変わらず回りの雰囲気が懐かしくも思えた。合方は暑いのがダメだったので、今度は冷泉サウナへ連れて行かれた。暫くは出てこなかったので、おぅ頑張ってるなぁと思っていた。出て来た彼の一声は良かった良かったであった。私もどうなのか試しにはいった。居心地は遥かに良かったが、体温が逆に冷めるのが勿体無くて直ぐに出て来た。

 

このフロアーにはキヨスクの用な売店があり、私達は懐かしい棒アイスを買って頂きほおばった。私はもの珍しさに回りをきょろきょろした。安眠室があったり、食事をするスペースがあったり、あん摩機が付いた簡易ベットがあったり、足踏み健康器具があったり、おまけに通路の横にはパソコンが楽しめる部屋があり、子供達はしきりにゲームをしていた。正に家族が楽しめる遊園地感覚で寛げる不思議だが利にかなった施設だと思った。入浴料はいくらしたのかさだかですが??

ゆっくりと始めての温泉ではなく銭湯を楽しんだ私達は家路へと向かった。

 

車の中では、ダヨンちゃんが「街」を歌った。そして皆では「あなたは愛されるため生まれた人」を歌った。この光景も私にとって不思議であった。これは自分がそうしている事にたいしてかもしれない。

夜の路を家に着いた私達はゆったりとした気分で、居間で寛いだ。

軽く食事の準備をする間に少し、楽器を持ち演奏をした。そこでは、娘さんダヨンちゃんとスンモくんとも打ち解けあっていた。記念の写真も一枚。ダヨンちゃんはコンサーチナが気に入ったようである。 旦那さんは着替えて私が贈ったTシャツをさっそく着ていくれた。何も言わなかったが優しい人である。一緒にビールを飲み交わした。陽気に笑いあった。

 

BGMは相変わらず私達の演奏であった。そしてスンモくんの文化会館での「サムノリエ」の演奏ビデオを見た。凄い迫力であった。今そばにいる彼の優しい顔からは、想像が出来ないくらいのパワーみなぎる演奏であった。それはずば抜けてと言っても過言でなく、リズム感もよかった。

続いて、先程教会で歌って下さったソプラノの方が出てきて、ダヨンちゃんの遊園地で遊ぶ姿をみた。ビデオもテレビもあるが、具さん宅はあまり見ないようである。やはり勉強家のご自宅はこんなものなんでしょうね。

 

私達は韓国の家族宅で素晴らしい時間を過ごさせて頂いた。暖かい家族、絆は強かった。日本で得に私の家族はやはりばらばらだと言う事も気付いたがどうにもならないだろう(汗)これはオンドルのせいなのか?国民性の違いなのか?時代がやはり違うし、文化だろうか??

一つ言えるのは、このオンドルによって大きな生活環境があるのは確かだと実感した。日本ではどの部屋をあたためるのにも、エアコンやファンヒーターが必要である。これが不経済なのか?韓国では考えると2階建ての住まいが少ない。一般的にはやはり家族みんなが1階で生活し隔たりのない生活をしている。しかし、各個人のプライベートタイムや空間が確保されている。各部屋で思い思いの勉強や研究をしているようである。そしてその成果を家族みんなで考え理解し分かちあっているのだろう。

日本に核家族と言う言葉が流行り家族の分裂が始まり、子供達は街へ遊びに行き、家庭内に居る事がなくなり、まったく何をしているのか分からず、時に知らない方が良いのよ、とまでなった日本の生活環境をいまさら取り戻せる事は出来ないけど、この床暖房で少しは新しい生活を始める家族にとっては良いものかもしれない。

これには電気代や日本の湿気など環境の問題やコスト面についても検討すべき点が多いと思われる。

 

 

オンドルの検証はこれくらいにして、楽しい夜はふけて行き、私達は音の打合せに入った。1曲ずつ演奏をして形を決めて行くが、やはり初めてのアンサンブルに戸惑いが隠せなかった。Keyの問題やリズムの問題があった。深夜3時まで続いた。私達は一通り済ませ、眠りについた。

 

【2月8日】

 

------ チョゴリとミサ ------

 

7時30分起床。この旅ではいつも相棒に起こされたばかりであった。(快晴)

多分に睡眠不足であろうと思われるが目覚めは良かった。顔を洗って身だしなみを整え、朝の散歩へ出かけようと言う事になった。カメラを持って居間へ行くと、旦那さんも一緒にと言う事で、一緒に出掛けた。外は一面の雪景色であった。遠くに少し霧がかかり清清しい朝である。自宅の裏山を廻り、雪道を歩き川べりへ。田舎の風景である。普段の韓国での旅は考えられないだろう。ソウル付近でホテルに泊まり少し贅沢な食事をし、夜景を見るくらいだろう。私達は幸せであった。韓国の文化に実際に触れる事が出来ている。これはかけがえのなり贅沢と経験であろう。

3人はゆっくりと丘の上にある墓石を見に歩いた。途中では一般的な住まいを写真におさめた。丘から見る風景も日本の風景と変わらない、自分達が住む田舎町よりもっと山深い感じがした。

ゆっくりと歩き、自宅へ戻ると、朝食の準備が出来ていた。

朝から食事は豪華な鍋であった。蟹が入っていてとっても美味しかった。水キムチ。写真みてね。この旅へ来てほとんど食べ放題。ずっとお腹が空く事がなかったような気がする。

 

 

日本の赤飯みたいな御飯であった。栗かな?食欲はありまた食べ過ぎた(^^;

11時に教会へ、礼拝へ行く前に韓国の伝統衣装を着て撮影をするとの事であった。

 

私達は食事を済ませ、伝統衣装「チョゴリ」に着替えた。まったくと言って良いほど、どうして着るのに見当が付かず、2人でぶつぶつ言いながら着替えをすませると、そこには孫にも衣装にもならない自分が鏡に写っていた。服にしわが寄らないようにと、意識して肘が伸びてロボットのような感じがした。

やはり第一印象は爆笑であった(^^;;;;

室内ではひとりずつ撮り、また二人で、今度は玄関前でと凄いショットになっているとは気が付かず、緊張しながら撮影は続いた。なんとか終わりそそくさと着替えをすませ、今度は教会へ行く準備。

超ばたばたであった。何か昨晩も教会へ行く時には、こんな調子のようだった。もう少し余裕をもってね(苦笑)

 

教会へ着くとすでにそこにはたくさんの車が止まっていた。強引に車を止め、礼拝堂へ榮先さんの後をついて結局一番前へ。生で見る教会の祭壇はすばらしい出来栄えであった。二段の祭壇が中央にあり、向かって右側には、コーラス隊の席が設けられ傍らにはピアノ、その反対側にはオルガンがあった。榮先さんはそのオルガンに教会専用の服をまとい座った。ミサが始まり、私達は神妙な面持ちで神父のお話やミサ曲を聞いた。意味はまったくわからない?神父は呪文のように唱えると、信者がまた呪文のようにくり返す時もあった。神父の説教が少し長引いた時は、流石に寝不足と朝食のお陰で眠気をもよおした。何とかこらえて1時間無事に終わりを告げるのかな?と思いきや、どうやら私達の事を神父さまが榮先さんに聞いているようだった。何やら紹介されるようである。名前を突然フルネームでよばれた。席を立ち振り返り皆様に向かい礼をすると拍手で歓迎してくれた。

よく考えると、7月にはこの場所で演奏をする事になるのだと、また重大な事にひとつ新たに確認をした。昨晩の演奏だけでもたいへんだった事を重々分かったのだが、この不安はずっとぬぐい去る事ができないのか?練習をもっと積むべきなのだろう!

 

教会横の集会場で私達はまた昼食を頂いた。つい先程食べた遅い朝食だったので少しひかえたが、豚肉が美味しかった。キムチはもっともポピュラーな家庭的なものであった。凄い人数が入れ代わり立ち代わり現れ食事をしていた。フロアーはぎゅうぎゅう詰めであった。子供を抱いた人も、昨日あった方々も子供の大人も神父さまもみんな同じ場所で食事をする事で意義があるのだろう。

食事をすませ榮先さんの後を着いて行くと、下駄箱付近の扉を開き中へ・・・分からず入ると、先程の神父様は健康でにこやかな顔で私達をむかえて下さった。そして少し会話をした。と言っても榮先さんごしにね。神父様は私達の出会いに祈りを捧げて下さった。神父様の言葉を榮先さんが通訳して私達は目を閉じ聞き入った。

診察を受けた帰りのようにスリッパを脱ぎ玄関へ出た。やはり不思議な気持ち、この旅は不思議な出合いと始めての経験があまりにも多すぎる。

 

 

一旦自宅へ帰り、荷物の準備をした。玄関前には大きなお土産が積まれていた。それにキムチを二人分頂いた。色んな人への心遣いが素晴らしい家族であった。これは色んな所へ旅をし、多くの人と出会い、言葉を交わしたせいかいもしれない。人はそれぞれ違うけど人との出合いがこれほど、自分の目の前を変える事や、考え方に影響を与える事が出来るのだと感じた。

 

準備が出来る束の間、旦那さんとは歴史の、スンモくんとはサッカーの、ダヨンちゃんとは言葉のやりとりなど楽しんだ。空港への出発時間が迫り、旦那さんがスンモくんに御留守番中にしておく事を伝えていた。

荷物の積み込みが終わり。

外で暫く、ダヨンちゃんとスンモくんとたわむれた。二人ともやはり優しい表情であった。穏やかな環境に育ち、これからの二人が楽しみである。スンモくんは御留守番との事であり、別れを惜しみながら、握手をし、車から手を振った。

雪はまだ少しうっすらと残っていた。

 

------ 湖のほとりを抜けて ------

 

車は何度となく通った湖のほとりを抜け、教会の横を通り町並みを眺めながら高速へと入って行った。高速での最初のインターへ入り休憩。日本よりサイズが大きい。外は閑散としていたが、中へ入るとファーストフードの売り場があり人が溢れていた。入口付近には、例の大きな暖房器具が設置してあった。ここは新しいのか、フロアーも建物も綺麗であった。奥までは行かなかったが、お土産も売っていたようであった。

外は天気が良いが少し寒さを感じた。旦那さんがガソリンを入れ帰って来て、再び車へ乗り込んだ。ひたすら高速を走った。休日だけあって高速は次第に混雑しはじめた。ダヨンちゃんと戯れ、時に寝不足であった疲れを癒すように眠った。一番長い橋にかかったところを抜けると、渋滞が始まった。暫くすると停滞となり、旦那さんが焦りはじめた。もちろん空港への時間があったからだ。私は半分眠りの中で、大丈夫だろうと切羽詰まった感じがなかった。それは何故か分からない??もっとこの土地に居たかったのかもしれない・・・

旦那さんが交通情報を尋ねているのか携帯で誰かと話をしている。暫く焦る気持ちをおさえると車は少し動いた。のろのろと走りはじめて、やっと交通渋滞の原因であった事故現場の横目に通るとスピードはました。

やっと安堵し車の中には和やかさが戻った。

それでも空港まで相当走った。ソウル近郊は開拓土地が多いのか、ビルディング建築ラッシュであった。右も左も、ほとんどの人がこのマンションに住むようである。土地はまだまだ余裕がある。この近辺いやこの地域にはこれかの発展の経済効果が大いに見込まれているのだろう。

間違い無く数年後くれば大きく変わっているはずだ。その時では無いがまた来てみたい。

 

空港に着き、荷物をカートに乗せ、チェックをすませ荷物を預けた。旦那さんが来るまで暫くまった。この街ともお別れ、いろんな衝撃を貰い帰って行く。

旦那さんがやっとみえられ、丁寧な挨拶をした。やはり言葉の壁がもどかしかった。複雑であったが、この瞬間を得る事が出来てよかった。長く短い3日間であった。幸せな時間であった。

 

ゲート口まで移動し、ほんと腰をかけると外は夕暮れがせまっていた。相棒が自宅へ雪の心配をしながら電話をした。高い構内を見上げ暫くひとりで考えた。広い空港内で多くの人達がいる。掃除をするおばちゃんもいる。搭乗員も観光客もいる。自分が凄くちっぽけな感じがした。毎日何をあくせくしているのだろう。とも思った。世界は広いぞ!自分の考えをもっと広く持たなければ、自分を少し変われるかなともおもった。その時はね。まったくこの3日間で、いろんな事を見て体験して感じとれた気がした。良かった。楽しかった。経験になった。旅をする余裕と時間をつくる事をしないと、人はあくせくするだけで終わって行きそうである。与えられた事をいかに自分の物にするかも必要であるが、自分の場所を変え考え方を変える事も必要である。ほんと自分を見詰めなおす機会が得られたと感謝!

 

相棒が買ったビールになおさら酔いがまわり、まっかな顔をして搭乗した。

搭乗が済み飛行機が動き始めると、外は真っ暗になり空港のひかりが綺麗なオレンジ色を放ち見送ってくれた。ゆっくりと上昇。ソウルの街から離れ空高く。水平飛行に入ると機内食が直ぐに出て来た。慌てるようにして食べた。また飲んだ(汗)。さてゆっくりとこれから空の旅をと思った瞬間すでに関空へ到着のアナウンスが入った。帰りは本当にあっけなく早く感じた。名残惜しさを噛み締めて飛行機は無事に到着。

 

ゲートを抜け税関を抜け、荷物受け渡し場所へ急いだ。

楽器はさすが早かった。トランクが出て来て最後のお土産のノリを待った。やっと出て来てトレイへと休息。

カートに積んだ荷物を押しゲートを抜けると帰って来た実感がした。荷物を車へと運び、次回の為のバックを買った。空港で暫く休息を取り、家路へと車に乗り込んだ。自宅へ着いたのは既に深夜2時近くであった。

 

翌日は何事もなかったように出勤。火曜日は体調不良でダウン寸前であった。(〜〜)

 

 

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